賭狂がゆく

港澳(香港、マカオ)往来28年、人生如賭博

【今月の唄】村下孝蔵『初恋』

 
シンガーソングライター・村下孝蔵氏が逝去(624日没、享年46歳)して、今年で14年になる。村下氏の代表作にして、昭和58年(1983年)にヒットしたのが『初恋』である。
 
♪ 五月雨は緑色 悲しくさせたよ一人の午後は
  恋をして淋しくて 届かぬ思いを暖めていた
  好きだよと言えず初恋は 振り子細工の心
  放課後の校庭を 走る君がいた
  遠くで僕はいつでも 君を探してた
  浅い夢だから 胸を離れない
 
もう30年前、ちょうど『初恋』がヒットした年に大学の学園祭でやっていたのが、村下孝蔵のライブだった。オープニングが『初恋』、そのあと『春雨』や『ゆうこ』などのヒットナンバーを次々に演じ、アンコールで『松山行フェリー』、そして最後にまた『初恋』。
 
生で聞く村下氏の唄は、本当に素晴らしかった。
 
特にこの『初恋』という唄は、村下氏の日本的感性が見事にポップスの旋律と融合した名作ではないだろうか。
 
例えば、一番の歌詞の出だしの
五月雨は緑色 悲しくさせたよ一人の午後は 」、
このフレーズだけで初夏の光景が、聞く人に鮮やかなイメージとなって現れてくる。
 
二番の歌詞では、日本の色彩を心的風景のバックに描き、「初恋」独特の情景が浮かび上がってくる。
 
♪ 夕映えはあんず色 帰り道一人口笛を吹いて
  名前さえ呼べなくて とらわれた心見つめていたよ
 
そして、リフレインとして使われている、
  好きだよと言えず初恋は 振り子細工の心 」
  浅い夢だから 胸を離れない
往々にして「初恋」というものは成就しない。その胸の苦しさがひしひしと迫ってくるような感じが、まるで水が流れるかのような旋律と共に思い出される一節。
 
このような青春の影を唄に描き切った『初恋』は、いまや時代を超えた名曲になったと云えるのではないだろうか。
 
ところで、チケット販売が当たり前の現代の学園祭ライブの状況からは信じられないだろうが、当時通っていた大学の学園祭はなんと、メジャーな歌手のライブを無料で開催していた。(この学校はどうなっているんだ?)と内心思った。
 
その理由が判ったのは、翌年ひょんなことから学祭の実行委員メンバーになってからであった。終いには委員長になってしまい、会計の一部始終を見て判った。流石に日本一のマンモス大学の異名をとるだけあって、潤沢な資金を回せたのだ(そのくせ私学助成金もちゃっかり国から交付されていた。現在でも、そう)。
 
それにしても、村下氏の「出演料」としてプロダクションに渡った金額は、(学生相手と云うのもあったのだろうが)そんなにべらぼうな額ではなかった。現代の水準ではむしろ安い部類だったと思う。従ってあの時のライブで聞けた人は幸せだったと云えるだろう。ある意味、「昭和」という時代のおおらかさがあったのではないかと思ったりもする。
 
この『初恋』は、時代を超えた「昭和」の名曲。今年は「平成」に変わって四半世紀の年月が経ち、「昭和」の記憶も人々の中から薄れようとしている。しかし、わたしたち日本人が日本に住み、日本語を国語として喋り使ってゆく限り、どんなに時代が変わろうとも『初恋』で描かれた青春の風景は色褪せる事はないだろう。
 
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