(銘酒はつもみぢ「回天」。人間魚雷「回天」烈士英霊のご冥福を祈念し、(株)はつもみぢ さんが伝統と技術を結集した辛口酒である)
かつて我が国は大東亜戦争に敗戦したものの、諸外国から舐められず復興と経済発展を果たした。その蔭には、
「日本人を怒らせ過ぎ、追いつめ過ぎると、何をしでかすか判らないから怖い」
と世界中の人々が感じていた事も寄与している。何故そのような感情が生じたかというと、大東亜戦争において私たちの父祖と先輩方が世界中を敵に回して尚且つ、善戦敢闘したためである。
“人間魚雷”という発想は、イタリア海軍の人間魚雷「マイアーレ」をもって端緒とする。魚雷形状の有人特殊潜航艇(2名搭乗)で、敵艦の艦底に吸着機雷を仕掛けて沈めるという攻撃方法であった。1941年12月の「アレクサンドリア港襲撃作戦」では3隻の人間魚雷「マイアーレ」がイギリス海軍を攻撃し、戦艦2隻と油送船1隻を大破させるという大戦果を挙げている。
(「マイアーレ」模型。イタリア時計メーカー、パネライ社の展示品)
日本も特殊潜航艇「甲標的」を開発して真珠湾攻撃やオーストラリア・シドニー湾襲撃、マダガスカルのディエゴ・スラレス港襲撃、ガダルカナル島沖、フィリピンの作戦に投入、幾多の戦果を挙げた。その「甲標的」を改良し、搭乗員が体当たり攻撃出来るよう開発されたのが『回天』であった。
昭和19年11月8日、人間魚雷『回天』特別攻撃隊の第一陣、「菊水隊」12名が山口県徳山(現・周南市)の大津島基地から出撃した。目指すはカロリン諸島のウルシー環礁とパラオのコッソル水道に在泊するアメリカ軍艦船である。
『回天』を搭載する母艦は、伊36、37、47の各潜水艦で、伊47潜水艦には『回天』を発案した一人である仁科関夫中尉以下4名の回天搭乗員が乗り組み、11月20日ウルシー泊地の米艦船に突入した。
「後を頼みます。出発します」の言葉を残して『回天』1号艇の仁科中尉が発進、その後を追って2号艇以下全艇が発進する。
この日の損害として米軍が公表しているのは油送艦『ミシシネワ』撃沈のみで、その他の戦果は不明という事になっている。回天戦の戦果については米軍未公開の資料がまだ存在するという話もあり、いまだ全容がはっきりしていないと云われる。
ただ言えるのは、当時の米軍にとって『回天』が非常に大きな脅威として認識されていたという事である。
前記の伊47潜水艦から発進した一人、佐藤章少尉(九州大学卒、予備学生3期)は、こう日記に書き残していた。
「われただ死せんのみ、死なんのみ。日本民族は、われわれの死によって永遠に生きるのだ」
『回天』搭乗烈士たちの思いは、現代に生きている。
領海と排他的経済水域が犯されている過日の小笠原海域や東シナ海・尖閣諸島、不法占拠されている島根県竹島と北方領土、中韓両国と反日日本人らによる「慰安婦」「南京事件」「靖国神社攻撃」などの国際的な日本排撃行動・・・
これらの背景としてあるのは、海外諸国において日本と日本人に対する畏怖感が薄まり、また日本人自身が教育とマスコミ報道他の反日洗脳によって事実と異なる自虐思想を植え付けられ続けている事にある。
世界平和は尊ぶべき。しかし自国の尊厳を守り得ない者が、他国の尊厳を理解し共存共栄を図ることなど出来る筈もないのである。
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