栗林中将は硫黄島に着任以来、任地を一歩も離れることなく前線指導を徹底していた。生存者の談話でも栗林中将に直接声をかけられたという証言が非常に多いが、栗林中将が作戦指導だけではなく陣地構築などの作業も常に自分で見廻り、方針の徹底を図っていた事は特筆すべき出来事であった。
「予は常に諸子の先頭に在り」
と語るシーンが印象的だったが、この台詞が栗林中将の人となりを象徴的に表している。
「常に先頭にある」という最高指揮官の姿は、まさにリーダーシップの原点である。この指揮官の思いが硫黄島守備隊の士気を奮い立たせ、米軍に死傷者数が日本側を上回るという大損害を与えたのである。
総兵力二万一千名だが海軍七千名の内、陸上戦闘部隊を専門とする海軍陸戦隊は少数に過ぎない。陸軍側もまとまった現役部隊は鹿児島・佐賀編成の歩兵第百四十五聯隊と戦車第二十六聯隊のみ。兵団の中核である各独立歩兵大隊群は、九州編成の3個歩兵大隊を除いて元々東京とその近県出身者で構成された小笠原要塞歩兵隊を改編したもので、三十代、四十代の召集兵も多い部隊である。しかも中堅指揮官は四、五十代。
このとても精強とは言い難い兵力の補強と、水際での防衛戦闘を主張して兵団長方針に異を唱える幹部に対して栗林がとった手段が、
・中堅指揮官を陸士出の青年将校たちへと交替
・高級幹部の更迭
であった。この人事異動により、部隊の戦闘力は格段にレベルアップしたのである。
硫黄島の戦いが現代の私たちに伝えるものは、指揮官の意思と姿勢、そして適切な人事が統率にとって如何に重要であるか、という事であろう。
栗林忠道・陸軍中将辞世
国の為重きつとめを果し得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき
天皇陛下御製
(硫黄島)
精魂を込め戦ひし人未だ 地下に眠りて島は悲しき
戦火に焼かれて島に五十年を 主なき蓖麻は生ひ茂りゐぬ
皇后陛下御歌
(慰霊碑に詣づ)
慰霊碑は今安らかに水たたふ 如何ばかり君ら水を欲りけむ
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