賭狂がゆく

港澳(香港、マカオ)往来28年、人生如賭博

小野田寛郎さん逝去を悼む

 
去る116日、小野田自然塾」理事長の小野田寛郎さんが心不全のため亡くなった。享年91歳。
 
皆様ご存じの通り、元日本陸軍少尉の小野田さんは情報将校の育成を目的とする陸軍中野学校二俣分校でゲリラ戦教育を受け、昭和19年、フィリピンのルパング島に赴任した。終戦時に任務解除の命令が届かなかったため、残置諜者として島内で遊撃戦闘と情報収集を続け、昭和49年に帰国するまで約30年間戦い続けた方である。
 
小野田さんは和歌山県出身、昭和1712月に陸軍歩兵第61連隊入隊。幹部候補生から陸軍予備士官学校を経て、中野学校二俣分校の第一期生に選ばれたが、入隊前は旧制海南中学を卒業後、和歌山県下でも有数の漆専門貿易商社「田島洋行」に入社。同社の漢口(現・武漢)支店に昭和144月から昭和178月まで勤務されていた。
 
私は5年前、ある会合の席で小野田さんにお会いしたことがある。その時の懇親会で名刺交換した際、小野田さんは私の名刺の会社名を見て懐かしそうに商社時代の話をして下さった。
 
「私は入隊する前、商社員として漢口にいましたが、その頃よく大阪セメント(現・住友大阪セメント)の駐在員の方と商売していたものです」
 
お話を伺うと、当時商社マンだった小野田さんは本業の漆の買い付けの他、旧大阪セメントの現地担当者と共に、中国大陸におけるセメント、コンクリートの販売にも関わっていたそうであった。
 
ほかにもマスコミに出ていない話をいろいろと伺う事が出来たが、それ以来お目にかかる機会はあっても親しくお話を伺うこと叶わず、とうとうお亡くなりになってしまわれた。残念でならない。
 
小野田さんのご冥福をお祈りいたします。
 
… … … … … … … … … … … … … … … … … …
ブログランキングに登録しています。
応援いただければ、下記アドレスをクイックお願い致します。
         ↓
… … … … … … … … … … … … … … … … … …