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米陸軍442連隊と第100大隊メモ

 
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(442連隊戦闘団マークをあしらったバッチ)
 
昨日ハワイ・ホノルルのアメリカ陸軍博物館を訪問したエントリーで触れた米陸軍の日系人部隊「442連隊」と「ハワイ第100大隊」については、今更解説の必要もないほど有名な存在である。
 
第二次世界大戦の日米開戦後、米本土在住の日系人は収容所に隔離された。その一方、多くの日系二世の若者たちが米軍に志願したが、それは自らの血と汗でもって“祖国”アメリカへの忠誠を示す意味を持っていた。
 
すでに多くの日系人が根付き、また軍に所属している者も多かったハワイ州では、米陸軍が先行的に歩兵「第100大隊」を編成して訓練を実施し、ヨーロッパ・イタリア戦線に投入した。
 
本土の日系二世を主体とする「442連隊」は歩兵大隊と砲兵大隊、工兵部隊をもつ戦闘団で、編成上は第100大隊が第1大隊であったが、何故か「第100大隊」のまま、最後まで改称されなかった。442の主力は第100大隊の後を追うようにイタリア、フランスへと回され、第一線の激戦地に投入された。
 
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442連隊と第100大隊の歩兵記章)
 
特にフランス戦線での孤立した米テキサス大隊救出作戦では、日本陸軍もかくやの「バンザイ突撃」を敢行してドイツ軍の包囲を破る激戦ぶりであった。その結果、常に任務を完遂して全アメリカ陸軍部隊中で最強と評されたものの、非常に高い死傷率を記録した。一昨年12月に88歳で亡くなった米政界の重鎮、ダニエル・イノウエ上院議員民主党ハワイ州選出)も442連隊に所属し、右手を失っている。
 
442連隊の兵士たちの命を賭した働きは、日系人の地位向上に大いに寄与する結果となった。特にハワイでは第100大隊の帰還兵士たちのクラブ「 ONE HUNDRED CULB 」が各界に影響力を持ち、日系人のみならず多くの日本人がハワイで活躍できる下地となっている。
 
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(コミック入り解説書)
 
3/26放送 関西テレビ「アンカー」青山繁晴ニュースDEズバリでは、
U.S ARMY MUSEUM OF HAWAIIアメリカ陸軍博物館の記念グッズの中の「零戦Tシャツ」が紹介されていた。これも素晴らしいが、442連隊とハワイ第100大隊の土産物もまた希少価値のあるものである。
 
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(442連隊将兵の写真入りTシャツ)
 
この他、連隊のマーク入りマグカップや各種ピンバッチが販売されている。もちろん他の米陸軍部隊グッズなども多種販売されているので、ミリタリーファン必見と云える博物館である。
 
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