賭狂がゆく

港澳(香港、マカオ)往来28年、人生如賭博

今月の唄:第二十七師団の歌

 

昭和12年(1937年)7月7日、盧溝橋事件が発生した。1900年の北清事変(義和団の乱)後に当時の清朝と八ヶ国連合軍との間で締結された国際条約「北京議定書」に基づき駐屯していた日本の支那駐屯軍の一部隊が夜間演習中、何度も実弾を撃ち込まれた事を契機に日支両軍の小規模な武力衝突が起こったのである。

 

当時、我が国は北京・天津の在外公館護衛と居留民保護のため支那駐屯軍を置き、北京付近に支那駐屯歩兵第一聯隊(旧・北平駐屯歩兵隊)、天津に支那駐屯歩兵第二聯隊(旧・天津駐屯歩兵隊)を駐屯させていた。事件の当事者は支那駐屯歩兵第一聯隊である。

 

こののち同年8月の中国軍による上海包囲と日本人居留民地区攻撃(第二次上海事変)による両軍の全面衝突(支那事変)拡大に伴い、支那駐屯軍は兵力増強され「支那駐屯兵団」と改称した。更に昭和13年3月に帝国陸軍の正規師団「第二十七師団」へと改編され同年7月の武漢作戦に従事、その後は天津に戻り天津~山海関間の警備に当たった。

 

今月の唄はその第二十七師団の部隊歌である。

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「第二十七師団の歌」

作詞・作曲:不詳

(ご参考YouTube)

(https://www.youtube.com/watch?v=xjIpRgiw7Lk )

一、北支の天地 京津(けいしん)の

  山河に刻む四十年

  駐屯軍の名は薫る

  勇士幾千 紅(くれない)の

  血に彩りし 伝統と

  矜持(きんじ)を受けて生まれたる

  わが兵団 わが兵団

  わが兵団は 天下の精鋭

 

二、武漢の戦(いくさ) 酣(たけなわ)に

  大嶺山の朝霞

  元山光の夜の雨

  山獄地帯を突破して

  疾風のごとく若漢に

  江南の敵を分断す

  わが兵団 わが兵団

  わが兵団は 天下の精鋭

 

三、鎧袖一度(ひとたび)触るるとき

  敵陣たちまち雪崩(くず)れたり

  懸軍長駆二百余里

  奥漢線を遮断して

  陸水河畔 秋風に

  見よ翻(ひるがえ)る日章旗(ひのみはた)

  わが兵団 わが兵団

  わが兵団は 天下の精鋭

 

四、今発祥の地に立ちて

  渤海(ぼっかい)の波 岸を打つ

  華北警備に血と鉄の

  威力を馳せて新しき

  秩序を築き極東の

  黎明の鐘打たんかな

  わが兵団 わが兵団

  わが兵団は 天下の精鋭

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大東亜戦争開戦後は昭和18年6月から暫時関東軍所属として満州に駐屯、昭和19年4月から始まった大陸打通作戦では中支の第11軍に属して湘桂作戦、京漢作戦に活躍した。その後第20軍、次に第23軍の戦闘序列に入りB29の日本本土空襲を防ぐべく、その拠点となる華南の飛行場破壊作戦で活躍した。

 

第二十七師団中核である支那駐屯歩兵第一聯隊の留守担当連隊区は佐倉、第二聯隊は東京、第三聯隊は甲府と関東の将兵が主力となっていた。筆者の親戚筋にも同師団に所属し終戦を迎えた人がおり、先人の労苦に思いを馳せる次第である。

 

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