賭狂がゆく

港澳(香港、マカオ)往来28年、人生如賭博

祝・日経平均4万円台とバブル期回想

 

昨4日、日経平均株価は史上初の4万円台突入。その達成感からか今日5日は流石に反落して始まったものの、あのバブル期の株式市場のような変な過熱感が無いので落ち着いていられる。

 

日経平均が当時「史上最高値」を付けたのは平成元年(1989年)12月29日の大納会の時であった。だいぶ以前にどこかで書いたが、あの35年前の平成元年と年内最後の週のことは今でもよく覚えている。

 

当時はバブル景気真っ盛りだった。勤めていた会社では課長職以上の管理職が経費使いまくりでウハウハやっていた。客の接待に2次会3次会で高級クラブを使うのは普通、そしてタクシーチケットは使い放題。

 

まだ単なる若手社員だった筆者らには自分の裁量で使える経費(接待費)が回って来ず、たまに部課長の接待の御相伴にあずかる時しか「バブル景気」を実感できる機会が無かった。そして連れて行かれる先は、「銀座」とかではなく、何故か錦糸町とか西葛西とかのクラブ。あのバブル期でさえ場末感漂う所が多かったものである。

 

忘れもしないのが平成元年12月25日(月)、クリスマスの日。あの日は河川の汚泥を特殊セメントで固化処理する実験に関連した仕事で、午後に一人で錦糸町の首都高高架下の川から汚泥サンプルを採取し、船橋にある研究所へライトバンで搬送するという作業が入っていた。

 

ところが予定がずれ込み、夕方6時からという事になってしまった。ゴムボートを浮かべて、長柄の柄杓で汚泥をすくっていくのだが、初めてなので上手く採取出来ない。別作業で同行していた地元大手S建設の同年輩の人たちが見かねて手伝ってくれ、なんとか終えたのが夜の9時半過ぎ。

 

ヘドロだらけになりながら一息ついた目の前に、錦糸町のラブホテル街のネオンが眩しく輝いていた。そして、同年輩のアベックが吸い込まれるように入ってゆく。そして車のラジオからは日経平均株価が高値更新云々のニュースが流れていた。

 

「ああ…クリスマスで同年輩の連中はパコパコやっているのに、この俺は何やってるんだろ?・・・」あのときの惨めな気持ちは、いまだに忘れることが出来ない。

 

そんなバブル景気も翌年には、日経平均大暴落で崩壊へ。長い平成不況の始まりである。最近よく時代錯誤・無茶苦茶な時代の代名詞として「昭和」が取り上げられるが、思えば「平成」も今振り返れば大概な時代だった。「平らかに成る」どころか「一億ぺいぺいに成る」世だったのだから。

 

私が株式投資を始めたのはバブル崩壊後の1994年から。1990年当時は株式市場の暴落に対して「ざまーみろ」的な感想しか湧かなかったが、「令和」の世になり日経平均4万円超えに対して格別の感慨も無く妙な力みも無く「本当の勝負はまだまだこれから」と構えている自分がいる。不思議なものである。

 

「無駄遣い、する金あれば相場せよ

       長者になれる真の近道」

             ※江戸時代の『相場歌留多』より

 

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